肌寒の週末

なかなかすんなりと春が深まらない。三寒四温はこの時期の言葉ではないのだけれど、四寒一温?の日々で、相変わらず暖房が恋しい肌寒い週末だった。
第11回ヨーガ療法学会が今年は日本アーユルヴェーダー学会と共同開催となり、宮崎のシーガイヤで4月18日〜21日まで開催された。で、先週の木曜日から日曜日まで南国宮崎の人だった。木曜日、11時前のソニックに乗って大分へ。そこから宮崎行のにちりんに乗り換え、16時過ぎに宮崎着。大分で合流した姉とシーガイヤにあるホテル方面行のバスを待つ。暑い!!やはりここは南国宮崎!!と、腕をまくる。

夜は10年以上振りに宮崎在の友人に会い、家に招かれ、彼女が準備してくれたいっぱいの郷土料理を味わいながら、長い空白を埋めるかのように、互いの今までを語り合った。出会ってから30年以上の年月が過ぎ去ったことに驚きながら、でもこうして繋がっていることにその出会いの必然を感じた。地鶏や宮崎の大地の恵みが凝縮された野菜たちが美味しかった!交わされた言葉のすべてが心にちゃんと響く、心もいっぱい満たされた夜だった。

翌朝9時からいよいよ学会が始まる。一昨年は札幌でヨーガ療法士としての第一歩を印し、昨年は岡山、そして今年は宮崎。療法士として三回目の学会参加となる。朝9時から夕方6時過ぎまでみっちりと講演が続く。中でもボストンのトラウマセンターを設立したヴェッセル・ヴァンデル・コーク先生(ボストン大学医学部精神科教授)の3時間に及ぶ「米国のトラウマ患者に対する心理療法」の講演は実に興味深かった。ボストンマラソンで爆発があった2ブロック先にあるセンターはすぐに患者の受け入れにあたったという。そんな中来日してくださったことにまず感謝する。講演は休憩を挟み3時間近くに及んだ。
感情をコントロール出来る場所は脳の真ん中、つまりヨーガで言う眉間の奥の第6チャクラに繋がるという。そこは自分のために働き、自分への気付きをもたらす場所。トラウマに取りつかれた人は、この部分が働かなくなる。強いストレスによりパニックになり、凍結されてしまう。で、ヨーガを通して体にアプローチを促しながら、やがて心への気づきに導いていく。

「トラウマをヨーガで克服する(紀伊国屋書店版)」を著者であるディビット・エマーソン氏は、コーク先生が創立したボストンにあるトラウマセンターで、実際にヨーガを指導した経験をもとに書かれている。トラウマとまではいかなくても、様々なストレスを抱えている私たちに、なぜヨーガが効果的なのかということを、医師として、様々なアプローチと共に講演して下さった。実に深い気づきや学びがあった。その一字一句を聞き逃さないように、集中し続けた3時間だった。

「パフォーマンス学」という独自の世界を構築し、著書多数、テレビや新聞、雑誌でも何度も取り上げられている佐藤 綾子先生の講演も興味深かった。外へのアプローチ?であるパフォーマンスと、内へ向かう?ヨーガにどんな接点があるのか?ある意味かなり関心を持っての講座。なるほど!納得!目から鱗的気づきの時間だった。(その詳細は私と会えた方へ直接お伝えしますね・・・)
その他、ここに書きつくせないほど、いっぱいの学びがあった濃厚な時間を過ごした。スタジオレッスン代行をお願いし、たくさんの時間とお金と労力を使ってわざわざ出かけた学会だったから、貪欲に学ぶ姿勢が芽生えるのかも?と思いつつ。いつも学ぶ道に!学ぶことを辞めた時、きっと私は終わる!?!改めてそう思ったヨーガ療法士として三年目の学会だった。
次回は学会番外編!?!乞うご期待!今週も相変わらず学び、受け止め、変わらずの一歩一歩。
(写真は上から宮崎の空、挨拶される木村先生、飫肥で出会ったイキシア&スパラキシス
★最近読んだ本  「きみ去りしのち」 重松 清 著
★最近見た映画  「天使のわけ前」  ケン・ローチ監督

チューリップ咲く日

ほとんど1か月ぶりの和日記です。結局また書き始めている自分がいます。やっぱ語りたい人なんだ!と改めて思っています。FBの短いコメントでは語り尽きせぬ思いが溜まってしまいました。で、再びの和日記。

福岡の中心地天神にある公園はチューリップがいっぱい!!週末土曜日のスタジオレッスンに行く前にちょいと立ち寄って激写しました。まぁなんと色とりどりのチューリップが咲いていることか。ラベンダーとかハーブの花もあって、公園一帯がなんとも優しい香りに溢れていました。ここんとこ黄砂やPM2.5とかで、深呼吸することなかったから、本当に久しぶりに深呼吸したくなりました。早速FBに載せたら、「昔は、咲いた、咲いたチューリップの花が、並んだ、並んだ、赤白黄色・・・しかなかったのに・・・」とコメントが。確かに!この春、KLMオランダ航空の就航が始まった福岡。チューリップの故郷?!オランダに行きたい思いを抱え、今年は警護公園のチューリップで我慢します。

相変わらず忙しく、でも充実した日々が続いている。この4月、地域ではまた新たな場所でヨーガレッスンを始め、いっぱいの出会いがあった。スタジオではインストラクター養成コースを立ち上げ、講座のテキスト作りを始めとして、実際の指導と自分の原点を見つめ直している。今から25年前?!初めて人前で教えたあの時間。実はほとんど忘れてしまってるんだけれど。かなり緊張している受講生の姿にかっての自分が重なる。大丈夫だよ!!いっぱい背中押しながら指導した時間。

今週金曜日から宮崎市のシーガイヤで開催されるヨーガ療法学会に参加するため、前日の木曜日に宮崎に行く。宮崎には友人がいっぱいいて、学会参加と共に友人との再会も楽しみで今週はいつも以上にわくわくの1週間になりそうだ。全ての出会いに感謝!ありがと!よろしく!今週もそんな思いを胸に一歩一歩。
★最近読んだ本   「わりなき恋」 岸 恵子 著 
★最近観た映画   「君と歩く世界」 マリオン・コティヤール主演

春が来た

いつの間にか春がやってきて、桜がいきなり咲いてしまった。やっと3月も中旬を過ぎた頃だと言うのに。あの寒い寒い冬からこんな風に突然春がやって来るなんて、誰が想像しただろうか?予測不能の気候に少し振り回されている。

マンション前の枝垂れ桜が8分咲き。今週末には本物の?桜が満開になるのかな?マジで?!ここんところ仕事が益々忙しくなって、おまけに大ドジで怪我をしてしまったこともあって、「和日記」はすっかりご無沙汰になってしまった。
最近、と言ってももう半年くらい前から、友人から勧められてフェイスブックも始めた。ショートブログみたいで、気軽に今の自分の思いを伝えられて、また瞬時に仲間たちからの反応もあって、「これはブログをちまちまやってる場合ではないかも・・・」と思ったりで、じっくりパソコンに向かい、「和日記」を書くことからすっかり遠ざかってしまった。
どうなんだろう?全く見えない人を相手に自虐的?日記を書き続けるか?コメントを載せたら、すぐに「いいね!」と反応があるフェイスブックに向かうのか?それもこれも時代の流れ・・・思いを書いて投函してから、その返事が届くまで一週間以上の時間を要した時代から、電話、ファックス、そしてインターネット。ブログからツイッター。より便利により早く、情報は流れていく。いつの間にか自分もそんな流れに乗せられてしまっていることに改めて気づく。

少しゆっくりとしてみたいと思う。友人に手紙を書いてみたいと思う。不特定多数の人に語るのではなくて、あなたに話したい言葉を大事にしたいと思う。さて、誰に手紙を書こうか・・・大好きな松浦弥太郎さんの著書「あたらしいあたりまえ」に旅の途中で思いついて紙を1枚取り出して、友達の名前を書いていくことにしたというくだりがある。「誰を一番に書こうかな?」と迷い、最初の一人の名前を書いたものの「へぇ、この人の名前が一番なんだ」と驚いたという。私ならどうだろうか?自慢ではなく友だちと呼べる人はそう多くはない。むしろ少ないからそんなに迷わない気がする。その数少ない友人が、体や心の病の只中にあったりする。生まれてから62年目の春。桜をこれから何度眺めることが出来るのだろうか?残りの春を数える歳になっていることを重く受け止める日々でもある。
友人から借りた小津安二郎監督のDVDを観続けている。「東京物語」「麦秋」「晩秋」「父ありき」「風の中の牝鶏」「一人息子」「戸田家の兄妹」「お茶漬の味」「長屋紳士録」全9作品が入ったこのDVDの値段にも驚いた!わずか1980円。時間を見つけては観続けている。懐かしい昭和の景色が、昭和人の心の有りようが胸にずんと響く。映像も素晴らしい。未だに世界中の映画監督が手本にする小津ワールド!!
笠智衆、原 節子、東山千栄子淡島千景・・・演じるという枠を超えて、その存在すべてが役者であり続けた人たちだった。こんな世界観を超える映画がこれから生まれるのかな?これからも大好きな映画世界をずっと見守って行こう。
今は少し「和日記」はお休みをして、またゆっくり私の心情を語りたいなと思ったら、再びのこの道に戻ってこようと思っている。
いつも一歩一歩、小さくてでも確実な歩みを忘れずに続けていこう。

弥生3月

「弥生来にけり、如月は 風もろともに、けふ去りぬ (「燕の歌」上田 敏訳 朝日新聞天声人語より)」春を待つ身にはあまり好まれない2月が過ぎ去って、待ち望んだ弥生の3月が始まった。急に気温が上がり、羽織ったコートがやたらと重く、邪魔者に思えてくる。陽の光が確実に変わったことに気づく。
夫がゴルフでマイカーに乗って出かけた日、仕方ないのでバスと地下鉄とを乗り継いで移動した日。久しぶりにのんびりと車窓を通り過ぎる景色を眺め、地下鉄の座席ではスマホ人口の急激な増加をこの目で検証する。たまにはいいな。しかし青空が少し霞んでいる。それってまさかのPM2.5??隣国の公害が押し寄せる今年の春。一体どんな風に向かい闘えばいいのか?

母に会いに行った別府で、ついでながら開催されていた「別府八湯 日韓次世代映画祭」に行った。会場は別府中央公民館。この公民館は昭和3年(1928年)に竣工したというから、昭和2年の母と同じくらいの歳。星月夜のステンドグラスやキューピットが立つ手洗いなど、当時のまま残っている、別府市有形文化財に指定されている歴史深い建物である。このホールで開催された映画祭でその日上映された映画は、日本初公開の「Jesus Hospital (原題 ミンクコート)」。2011年のソウル独立映画祭で大賞を受賞した他、釜山国際映画祭でも2部門で受賞した話題作品で、キリスト教信者と安楽死というかなり重いテーマを扱っていて、韓国でも論議を呼んだ作品であるという。
最初からかなり異常な?カメラアングルと進行にかなり戸惑いながら、いったいどこに連れて行かれるのだろう?というドキドキ感も伴って画面に釘付けになる。で、ドアップの主人公ヒョンス(ファン・ジョンミン)の姿に度肝を抜かれる?!「え〜!この人が主役?本当に女優?」しかしこの女優ファン・ジョンミンの迫真の演技がこの映画の主軸となっていく。
「老婆は8ヵ月間、意識を失ったまま入院している。医師は生存率が1%もないと診断する。敬虔なプロテスタントの姉と弟は、母の延命治療を中止することを決断する。しかし異端の宗派に陥った次女ヒョンスは母の酸素呼吸器を守ろうとする。(映画祭パンフレットより)」
延命治療について、韓国でも大きな社会問題になっていて、延命治療の停止を求めた家族と、応じない医師の間で裁判に至った例もあり、結局家族は裁判で勝訴し延命装置を外すことになったが、結局その患者は呼吸器なしで半年近く生きたという事例があったという。(上映後の監督の話より)尊厳死について観るもの一人一人に問いかけながら、宗教とは、家族とは・・・実にたくさんの本質に迫り、ゆさぶり、気づきへと誘っていく。いつの間にか見ている誰もがヒョンスになり、悩み、叫び、やがて救われていく。
病院の屋上で耐えきれない今を神に答えを求めて号泣するシーン。相変わらず神は答えをくれず、でも遠くで教会の鐘が聞こえ、天からは真っ白な雪が舞い降りてくる。流れる涙が全てを洗い流していく。舞い落ちる真っ白な雪が全ての罪を清めてくれる。象徴的な救いのシーンだった。

強烈な引力に?!ぐいぐい惹きこまれ、見終わった後、託された命題の重さに押しつぶされそうになった。でもきっとヒョンスと同じく命の希望を両手で掴み歩き始めるのだろう。人間は思う以上にしたたかな存在らしい。
いい作品だった。上映後シナリオを書かれたシン・アカ監督と共同演出したイ・サンチョル監督を囲んでの質疑応答もとても興味深かった。若い二人の監督のこれからを大いに期待したい。
こんな素晴らしい映画祭なのに、参加されてる人が少なくてそれが本当に残念に思った。福岡であるアジア国際映画祭はいつもかなりの人で賑わうのだが。文化的土壌が地方都市ではなかなか育たないのかなぁと思ったり。

今日は桃の節句、お雛祭りの日。朝から電車に乗ってハウステンボスに行き、尊敬する先輩ヨーガ療法士、脇田久子先生のワークショップを受けた。教える立場から学ぶ立場へ。だからこそいっぱいの気づきがある。自分の今を見つめなおし、反省し、気づきいっぱいの学びの1日だった。
帰りの電車で過ぎ去ってしまったひな祭りの日々を思い出していた。小さなお雛様を飾り、いつも決まってちらし寿司を作ってくれた母。季節の祭事やお誕生日やクリスマスやいつも家族で過ごす時間を大切にしてくれた母だった。だから私も結婚して家族を持った時から、母にしてもらったように過ごしてきた。「灯りをつけましょぼんぼりに・・・♪」と子供たちと一緒に歌ったひな祭りの宵を思い出していた。母から受け取ったバトンがこの子達にちゃんと渡せたかな?と思いながら。
長い眠りの時から解き放たれて、開花の時を迎える。「人間の体は本来、自然の一部であるから、その声に耳を澄ませることで、脳は自己増殖的な思考の働きを止めて、自然と調和した状態にかえることができるのであろう(熊野 宏昭 早稲田大教授)」
私は、そうこの大いなる自然の一部なんだ。どれだけ我執を捨て、謙虚に自然に学び、自然の一部となって生きていけるか?問いかける日々は変わりなく続く。今週も一歩一歩。

春の気配

一気に気温が上がり、ほかほか太陽の日差しが春の訪れを感じさせる早春の日。週初めの日曜日から火曜日まで別府の姉の家で静養中の母に会いに行っていた。体調を壊し別府の病院に入院し、退院してからも中々体調が戻らずの状態だった。そんな母の状態をフェイスブックに載せたら、「出来るだけ時間作って会ってあげて!」「悔いのないように!」「行けるときは会いに行った方がいいよ!」と、仲間たちからたくさんのコメントが届いた。老いた親を持つ、あるいはすでに見送った仲間たち。週末片づけなくてはいけない仕事いっぱいだったけれど、そんな仲間たちの声に背中をいっぱい押され、日曜日、頑張って早起きして、高速バスに飛び乗り別府に向かった。

一か月ぶりに会った母は、一層小さくなって姉んちのソファに座っていた。「今日は廊下を10往復して疲れた」と母。「そうだね、木浦で一人で暮らすんなら、足を鍛えんとね。明日は歩いて公園にしだれ梅を観に行こうね。」と私。その日の夕食は猪汁。姉と二人で台所に立っていたら、母がやって来て大根を削ぎ、味付けまでしてくれた。「今夜、この一か月で初めて台所に立ったよ」後で姉から聞いて嬉しかった。猪汁は母の得意料理。母の味。まだまだ母は大丈夫!・・・なんだかそう思えて嬉しい夜だった。猪汁もとっても美味しかった。変わらない母の味だった。

翌日母と姉んちのすぐ近くにある南立石公園に歩いて行った。母の歩みはとてもゆっくりで、すぐ疲れてしまうから何度も休憩をした。日差しは暖かいけれど風はやはり冷たくて、母が寒くないかと気遣いながら、やっとお目当てのしだれ梅に到着した。「わー!!すごい!」と母と見とれる。母をベンチに座らせて、私はしだれ梅の枝の下に立って、その向こうに広がる青空を眺める。辺りに漂う清楚で気品ある梅の香を胸いっぱいに吸い込む。「お母さん!生きてるっていいね。また来年も一緒に春を迎えようね!」そう心の中で何度も願いながら。レッスンを終えて車で迎えに来てくれた姉と一緒に「信濃屋」に行って三人でランチをした。甘いもの大好きな母は、やせ馬小豆?を注文。姉と私はだんご汁。母に取り分けてあげながら、久しぶりに母娘三人のランチ。大好きなやせ馬に母はとっても嬉しそう。かって母が作ってくれたやせ馬やだんご汁の想い出話をしながら。「覚えとらんわ」と言いながら母はやせ馬を食べる。窓から差す陽射しはそんな全てを包み込んでくれているかのように、とっても優しかった。

翌日「トキハに行って買いたいものがある」という母と一緒に三人で別府トキハに行く。冬物最終バーゲンコーナーで、母は懸命にブラウスを探す。そんな姿がとにかく嬉しい。柄物のタートルネックシャツ?を購入。一回りして再びそのコーナーに行ったらまた違ったタートルネックシャツを買おうとした。さっきも買ったのにと言ったら「へぇ?何を買ったん?」と聞いてきた。さっき買ったものも忘れるんだ。ちょいと心配しつつ、でも着飾るこころあればいいかな・・・と思ったり。

買い物後私が博多行のバスに乗るにはまだ30分以上の時間があったけれど、母をその場所にずっととどめて置くには忍びなく、駐車場で母と別れた。姉の車の後部座席に小さくなって座って私に手を振る母の眼は涙で潤んでいた。「さようなら、お母さん!」何度も何度も心の中で叫びながら母を見送り、寂しい思い抱えたまま福岡へ戻るバスを待った。帰りのバスに乗ったら涙が溢れた。胸が張り裂けそうになるくらい寂しかった。
明日母は1か月ぶりに木浦の家に帰る。あの家で一人でまた暮らすことが出来るのか、とても不安ではあるが、母は母なりに今を歩き始めようとしている。私も・・・頑張らなくては!!別府在中、その他いっぱいの気づきや感動があった。それはまた次回に・・・!変わらずの一歩一歩。

雨の日

朝からずっと一日中雨が降り続いていた一日だった。今日2月19日は、24節気(中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された区分手法の一つ)の「雨水」だという。雨水・・・降る雪が雨に変わり、雪が解けて土が潤いだす。(朝日新聞天声人語より)雪国ではないから、いまいちその感慨は薄いが、開け放った窓の向こうに、庭の木々が発する生気の匂いと言ったらいいか、土の匂いと言ったらいいのか、命の匂いを感じた朝だった。
命を感じた日の前日の日曜日、逝く命を知らされた。「今日のお昼過ぎ、お父さんに抱かれて、苦しまずに旅立ちました。涙が止まりません。」
仲良し三人組のKさん最愛のワンちゃん、リリィちゃんが、15歳で昨日旅立った。ワンちゃんで15歳はかなりの高齢。いつどうなってもおかしくないと覚悟してるけどね、と言っていたけれど、4日前に家に行った時は元気だったリリィちゃんが一体どうして?と、信じられない思いでメールに返信する。「辛いね・・・」悲しみに涙が止まらない彼女を思い、返す言葉が見つからず、胸の奥が痛みでいっぱいになった。
今日、「お花を持って行きます」と、いう友人と二人で傷心の彼女を見舞った。「いくら泣いても涙が止まらんのよ」泣き腫らした眼から溢れる涙に、その瞬間を語る言葉に、私も堪えきれず涙が溢れる。「辛いね。辛い時は我慢をせんでいっぱい泣いていいよ。」
「娘だったもんね。」ペットと言っても一緒に長い時間を過ごした家族。しかもいつもまっすぐな眼で見つめながら、全幅の信頼を寄せてくる存在に、どれほど励まされ、癒されてきたか。家族の一員・・・たかがペットだとは決して思わない。

我が家の猫ちゃんも同じ。子供たちが巣立った後、息子が飼っていた猫を飼えなくなったからと突然連れてこられた猫ちゃん。慣れるまで半年近くかかったけれど、今では私の唯一の話し相手!?!名前はディスコ。息子が付けた名前。今も足元にぴったりとくっついている。いつも私のそばにいる。いつも私をまっすぐな眼で見つめる。この眼が亡くなる日を思うだけで涙が溢れる。
先週の金曜日、2月15日は母の86回目の誕生日だった。正月明けから体調を崩し別府の病院に入院後、別府に住む姉んちでずっと過ごしている。下痢が続き体調が優れずまた一段と痩せたという。誕生日の夜、電話した私に母は言った。「後三年頑張るから・・・」えっ?三年・・・・なんで三年?母が母なりに出した三年が重く心に突き刺さった。それほどに命の灯火は小さく弱くなりつつある。その現実を見せつけられた夜だった。三年なんてあっと言う間だね。送る時を迎えているんだろうな。その今を重く受け止める。

昨日から第148回の芥川賞を受賞した黒田夏子さんの「abさんご」を読んでいる。芥川賞初の75歳という高齢の受賞。にもかかわらず、横書き、ひらがないっぱいのこの文章は画期的!!黙読していたら途中で訳がわからなくなり、声を出して読むことにした。音読・・・いつ以来かなと、自分の声を聴きながら読み進む。やがて舞台となった家が見えてくる。言葉の間に情景が浮かび上がる。映画と反対だなと、思う。映画は情景の間に言葉が見えてくる。どっちも私の想像の世界を大きく拡げることに変わりはない。そんな世界にいつも惹かれる。

雨が降り続ける夜。静かに更け逝く夜。かすかに春の匂いがする。悲しみを抱え季節は逝き過ぎようとしている。いつも悲しみに寄り添って生きていく、やや根暗?の私、それが私の生き方かなと思う夜。
今週も忙しい。人の痛みを一緒に共有しながら、今週も一歩一歩。

映画に酔いしれた!?三連休

先週は寒かった!金曜日はまたまた雪が降り、最高気温は4度止まり。震えながらレッスンに行った。そして三連休の週末。やっと寒さも峠を越え、昨日今日と青い空が眩しいほどで、優しい日差しにほっと心も緩んだ。
朝からどこか行きたいモードの夫。「映画でも見に行く?」とふったら即答で「いいね!」で、映画を決める(私が!)。アドベンチャーもの大好きな夫。好きではない私。両者納得する映画はめったにない。で、選んだのが「ライフ オブ パイ 虎と漂流した227日」久しぶりのアンリー監督作品。

アンリー監督、1954年台湾生まれ、ニューヨーク大、イリノイ大で映画製作を学ぶ。「ウエディングバケット(1993年)」「恋人たちの食卓(1994年)」「いつか晴れた日に(1995年)」ずっと見続けて来た。最近では最後に観たのは「ブロークバック・マウンテン(2005年)」同性愛を描いた作品だった。あれからもう10年近くたっていることに驚きながら。どの作品も家族や友人や恋人たちとの間での軋轢、愛や憎しみや悲しみを丁寧に描いた人間ドラマであり、そんな心の深い部分に向かい合い、掘り下げながら、いつもその悲しみにひっそりと寄り添っていく、優しい視線を感じる映像が胸を打つ作品を生み出している。そんな監督が手がけた作品、単なるアドベンチャー物語で終わるわけがない!久しぶりのアンリーの世界に胸躍りつつ映画館の椅子に座る。入口で渡されたメガネをかけて。「アバター」以来の3D。

泳ぎが得意な父親の親友が大好きなプール、フランス語でPiscine ピッシン(インドの言葉では小便)という名前をつけられた少年。名前のせいでいじめられるのをなんとかしようと自己紹介の度に得意な円周率の暗記を披露して、自分で作ったあだ名「パイ」をみんなに周知させ切り抜けていく。神さまにとても興味があって、ヒンズー教からキリスト教イスラム教と熱心に信仰する。そんな始まりの頃のエピソードが信じられない漂流の後奇跡の生還を果たした少年の布石となっていく。
これから見る人のために、詳しいストーリーは伏せておくことにして、とにかくぐんぐんと惹きこまれていく。3Dの立体感が見事に生かされていて、まるで自分自身もこの海原に少年と一緒に漂っているような錯覚に襲われる。映像が素晴らしい。

特にこのシーン。まるで宇宙を無限なる宇宙を星々に見守られながら静寂の海を漂っているかのような錯覚を覚えた。冒頭にあったインドでのシーン。ヒンズーのお祭りの夜。ガンガ(ガンジス川)に花々で飾られた神への捧げものが流されるシーン。おびただし数のろうそくの光、色鮮やかな花々、響いてくるマントラ。忘れられないシーンがいっぱいある。宝石箱のような作品。
アンリー監督は「海を砂漠として(聖書にも出てくる)、そして、海を感情としてとらえることもできます。」と語っている。海は、人の感情を反映している・・・泣いたり、怒ったり、恐れたり、笑ったり・・・・荒れ狂う海に、稲妻にパイは神に向かって叫び続ける。「あなたはどこにいますか?なぜ私を助けてくれないのです?」その感情の海に漂い、けっして諦めない強い心を育てながら試練を乗り越えていく。

一緒に漂流を続けたベンガル虎「リチャードパーカー」CGの技術がこの映像を可能にしたといえる。実際に4頭の虎を連れてきて、筋肉や目の動き、尻尾の動きなどを研究したという。凄い!

意外な最後が用意されている。そのラストをどう受け止めるか。この映画が問いかけてくる哲学的な意味合いを少しずつ整理していこう。今はそう思っている。
パイを演じたのは演劇経験全くなしのスラージ・シャルマ。眼で演技が出来ると抜擢されたという。確かに眼力がある!成人になったパイを演じたのは、「スラムドッグ$ミリオネア」のイルファン・カーン。彼の演技も素晴らしかった。パイのお母さん役には「その名にちなんで」のジータ・パテル。美しさが光る。チョイ役ながら船のコック役にジェラール・ドパルデューが出演。ご存知でしょうが、フランスの名優。なぜ彼が??これも意外なラストへの布石か?
映画って素晴らしいなぁ!久しぶりに叫びたいほどそう思った作品だった。

映画を観て語り合いたいなぁ。学生時代、映画研究部の合評会で映画鑑賞後、深夜まで議論しあった頃が懐かしい。映画オタク歴はそれ以来、もう40年以上になる。(歳バレバレ!)
さて、三連休も終わった。明日は午後スポーツクラブで代行レッスン。夜は公民館レッスン。いきなりのツーレッスン!頑張らなくちゃ!