旅の終わり・・・・リシケシにて

リシケシ(Rishikesh)は、かってビートルズもやって来た修行者の里で、町内では肉食や飲酒は禁じられている。ガンジス川を挟んだ右岸には私たちが今回滞在したスワミ・ヨーゲシヴァラーナンダジのアシュラム、ヨーガニケタンや、スワミ・シヴァーナンダジのシヴァーナンダアシュラムがある。左河にはヒンズーの寺院が点在している。アシュラムには猿が、道には牛が、全ての生き物が共存している。ニケタンのアシュラムで2泊しながら、修行旅の最終章となる時間を過ごす。丸一日リシケシに滞在した5月28日は実に濃厚な一日だった。

朝は4時半に起床し、5時から8時まで瞑想、アーサナ、呼吸法と行が続く。朝食後、溜まった洗濯などをして、昼食までの時間、お隣にあるシヴァーナンダアシュラムにも5年ぶりに訪れた。昼食後はお土産を買いに吊り橋を渡り、しばし俗世に染まりつつの時間を過ごす。あの極限の聖地から、なんでもありの場所へ戻って来た今の利便さを感じつつ、でもどこか違和感を感じながら、取りあえずはお土産買いにスイッチを切り替え、久しぶりに時間を気にしつつ奔走した。

夕方、ホーマ堂で最後の護摩供養が行われた。ガンゴトリーのニケタンで、ボジバサのキャンプ地で、そしてリシケシのニケタン・・・・その時々のアグニホートラ(護摩供養)を思い出しながら、何よりも旅の無事を感謝し、これからへの誓いを新たにする。炎の向こうに一層逞しくなって輝いて見える仲間たちがいた。

そして17時半からスワミ・ヨーゲシヴァラーナンダジの遺体が安置されているサムディホールで、最後の瞑想を行った。瞑想の主題は「苦行」。まず録音されたスワミ・ヨーゲシヴァラーナンダジのお言葉を聴き、それを木村先生が翻訳される。最後に用意された瞑想の課題は「苦行」。大師が経験された苦行の数々を語られながら、苦行から学ぶ智慧をお教えいただいた。「苦行から忍耐を学び、やがてその苦しみを克服したときに、自分の心身を制御する力が備わっていく。」
「いつかこの苦しみから救われる日が来る、そう信じて、心乱すことなく、耐え、立ち向かわなければならない。」

お言葉の一つ一つが胸の奥に言霊となって響いていく。大師の座像の眉間に集中をして、静かに眼を閉じ瞑想へ入っていく。大師から渡された命題を胸に、自分の心と向かい合っていく。いつの間にか懸命に走り続けたこの4年近い日々を振り返っていた。そして体験したたくさんの苦しみが次々と心に湧き上がって来た。その時・・・左の胸に強い痛みを感じた。胸の奥を鷲づかみされているかのような、息苦しさを感じ、「なに?どうして胸がこんなに痛いの?」初めての感覚にうろたえながら、次の瞬間にはその重い痛みが私の左胸から掴み出され、熱い熱の光の塊となって上昇していった。私の体の中心に光の柱が立ち昇り、全身が眩しいほどの光に包まれた。私は光の只中にいた。涙が溢れて止まらなかった。「よく頑張ったね。」大師の声が聞こえた。

この感動どう伝えたらいいのか・・・・この旅で私は湧き上がってくる感動の涙を2回経験した。一回はバギラッティ峰が見えた時、そしてリシケシのサムディホールで大師の声が聞こえた時。ヨーガ指導者ながら論理的思考が私の核であり、論理的に不確かなものは受け入れない私が、体験した説明できない感動、気づき。そんな体験を語るにはとても勇気?が必要で、何度も何度も自分に問いかけ直した。私は無宗教者だけれど、霊性(Spirituality)は信じている。魂が導かれる聖なる存在を信じている。そんな存在を確かに感じた時に、私の魂は救われ満たされ、感動の涙が止まらなくなったのだろう。それもこれも、厳しいインド修行の旅を乗り越えたからこそ出会ったのだと改めて思う。

明日はリシケシを離れ、旅立った地でもあり、旅の終わりの地でもあるデリーへ向かう。その夜、昼間露店で買い求めたマンゴーを食べながら、ルームメイトと遅くまで語り合った。ガンガでは今夜も沐浴をし、祈りを捧げる人たちでごった返しえしているのだろう。全ての罪は浄化される・・・?!?遠くで祈りのマントラを聴きながら、リシケシ最後の夜が更けていく。
インドは摩訶不思議な地、改めてそう思う。問いかける言葉が呪文のようにやがて深い眠りへと入っていく。
明日はデリーへ。最終章は次回へ続く。