雨の日

朝からずっと一日中雨が降り続いていた一日だった。今日2月19日は、24節気(中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された区分手法の一つ)の「雨水」だという。雨水・・・降る雪が雨に変わり、雪が解けて土が潤いだす。(朝日新聞天声人語より)雪国ではないから、いまいちその感慨は薄いが、開け放った窓の向こうに、庭の木々が発する生気の匂いと言ったらいいか、土の匂いと言ったらいいのか、命の匂いを感じた朝だった。
命を感じた日の前日の日曜日、逝く命を知らされた。「今日のお昼過ぎ、お父さんに抱かれて、苦しまずに旅立ちました。涙が止まりません。」
仲良し三人組のKさん最愛のワンちゃん、リリィちゃんが、15歳で昨日旅立った。ワンちゃんで15歳はかなりの高齢。いつどうなってもおかしくないと覚悟してるけどね、と言っていたけれど、4日前に家に行った時は元気だったリリィちゃんが一体どうして?と、信じられない思いでメールに返信する。「辛いね・・・」悲しみに涙が止まらない彼女を思い、返す言葉が見つからず、胸の奥が痛みでいっぱいになった。
今日、「お花を持って行きます」と、いう友人と二人で傷心の彼女を見舞った。「いくら泣いても涙が止まらんのよ」泣き腫らした眼から溢れる涙に、その瞬間を語る言葉に、私も堪えきれず涙が溢れる。「辛いね。辛い時は我慢をせんでいっぱい泣いていいよ。」
「娘だったもんね。」ペットと言っても一緒に長い時間を過ごした家族。しかもいつもまっすぐな眼で見つめながら、全幅の信頼を寄せてくる存在に、どれほど励まされ、癒されてきたか。家族の一員・・・たかがペットだとは決して思わない。

我が家の猫ちゃんも同じ。子供たちが巣立った後、息子が飼っていた猫を飼えなくなったからと突然連れてこられた猫ちゃん。慣れるまで半年近くかかったけれど、今では私の唯一の話し相手!?!名前はディスコ。息子が付けた名前。今も足元にぴったりとくっついている。いつも私のそばにいる。いつも私をまっすぐな眼で見つめる。この眼が亡くなる日を思うだけで涙が溢れる。
先週の金曜日、2月15日は母の86回目の誕生日だった。正月明けから体調を崩し別府の病院に入院後、別府に住む姉んちでずっと過ごしている。下痢が続き体調が優れずまた一段と痩せたという。誕生日の夜、電話した私に母は言った。「後三年頑張るから・・・」えっ?三年・・・・なんで三年?母が母なりに出した三年が重く心に突き刺さった。それほどに命の灯火は小さく弱くなりつつある。その現実を見せつけられた夜だった。三年なんてあっと言う間だね。送る時を迎えているんだろうな。その今を重く受け止める。

昨日から第148回の芥川賞を受賞した黒田夏子さんの「abさんご」を読んでいる。芥川賞初の75歳という高齢の受賞。にもかかわらず、横書き、ひらがないっぱいのこの文章は画期的!!黙読していたら途中で訳がわからなくなり、声を出して読むことにした。音読・・・いつ以来かなと、自分の声を聴きながら読み進む。やがて舞台となった家が見えてくる。言葉の間に情景が浮かび上がる。映画と反対だなと、思う。映画は情景の間に言葉が見えてくる。どっちも私の想像の世界を大きく拡げることに変わりはない。そんな世界にいつも惹かれる。

雨が降り続ける夜。静かに更け逝く夜。かすかに春の匂いがする。悲しみを抱え季節は逝き過ぎようとしている。いつも悲しみに寄り添って生きていく、やや根暗?の私、それが私の生き方かなと思う夜。
今週も忙しい。人の痛みを一緒に共有しながら、今週も一歩一歩。