猛暑の夏

インド修行旅を書き終え、なんだか気力が抜けてしまったのか、すっかりご無沙汰の「和日記」となってしまった。気力だけではない、体やこころが全くシャキッとしない。それもこれももう1か月以上続く信じられないように猛暑のせい。この1か月の平均気温が日本で一番高かった福岡。九州の北部に位置する福岡がなぜ???

34度はあたりまえ。夜になっても気温は一向に下がらない。日曜日、本当に本当に久しぶりに雨が降った。カラカラに干上がっていた庭がほっとし、前日の35度から26度と一気に気温も下がった。かみさまからの贈り物だ!!久しぶりにぐっすりと眠った。多分1か月以上ぶり。「福岡の夏はリオデジャネイロよりも暑く、真冬はローマやロンドンの冬より寒いのです。」FBに同級生が入れていたコメントに、「そんなぁ〜 いや、そうかも」と、納得したり。

暑い暑い先週初めの月曜日は、お盆の準備をするため、姉と一緒に母のいない山里の家に一泊で帰っていた。帰り着いた午後3時過ぎから、翌日の午後3時過ぎまで、二人で猛烈に働いた。鍵を開け、家の窓を全開して風を通したら、完全防備?の野良着に着替え、前の茶畑を占領してしまった雑草と鎌を片手に格闘する。汗が目に染みる。茶葉の上になぜかカボチャのツルが伸びていて、小さなカボチャもぶら下がっている。なんで?カボチャなんて植えてないのに?小さなカボチャっ子はお猿さんに盗られないように網をかける。畑仕事も2時間が限界。夕飯も二人で作り、二人で食べる。母がいつも座る場所に母がいない食卓。食後は入院中の母へ持って行く服を探したり、そのまんまになっていた冬服を整理したり、夜遅くまで家の中の片づけに追われていた。山里の夜は扇風機も要らないくらい涼しい。夜は久しぶりに爆睡。

翌朝は涼しい内にお墓の掃除に行こうと少し早起きし、たわしやお線香や蝋燭を持ってお墓に行った。家から坂道を登って5分?大分名水百選に選ばれている「連光寺の湧水」のすぐ側に、祖父母や父が眠るお墓がある。お墓の側にはサルスベリの花が満開だった。墓石の水苔をたわしで丁寧に取り除き、枯葉を掃き清め、湧水を汲んでは洗い流し、やっとお盆を迎える準備が完了した。蝋燭を立て、線香を手向け、手を合わせる。「おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、病院で頑張ってるおかあさんを守って下さいね」

母の病院の夕食に間に合うように、二人でぎりぎりまで懸命に働いた。前の畑の雑草を片づけ、道にはみ出していた木々を剪定し、お墓の掃除をして、冷蔵庫の中や母の服を整理し、ゴミを片づけ・・・・母のいない家に少し命を吹き込んで、また鍵をかけ、いつも見送ってくれた母がここにいない現実を今更ながら感じつつ、別府に戻った。
お盆には外泊許可を取って3か月振りに母をこの家に連れて帰りたいと思っている。この家が、この場所がきっと母にもう少し頑張ろうよ!という元気をくれることを信じて。

週明けの月曜日。夕方二日続きの雨が降ったお蔭で冷房要らずの夜。でも明日からまた猛暑の福岡に戻るとか。ささやかな日々、ささやかな思い。今週も今の自分が出来ること、ただ懸命に、一歩一歩。

インド修行の旅   最後の日 

朝、エアコンの効いた部屋のでっかいベットの上で目覚める。そうか、ここはかの有名な「タージパレスホテル」なんだ・・・・昨日までの日々から比べたら夢の世界のよう・・・寝起きから頭のスイッチが中々切り替わらず、少し戸惑いの朝。久しぶりに朝寝をしてホテルのレストランでゆっくり朝食をいただく。2週間振りの優雅な時間。

人間の順応性って凄いなぁと、思う。快適な世界にはすぐに慣れていく。頭の中を色んな思いがぐるぐると駆け抜けていく。未整理の頭を抱えながら、Wifiも繋がったので、FBに「元気ですよ〜!」とコメント&写真を載せる。昼食後、お土産のお菓子を買いに出かけ、アーユルベーダーのアヴィヤンガとシロダーラを受けに行く。

アヴィヤンガとは、アビヤーサ(繰り返す)と アンガ(手・足)というサンスクリット語を合わせた言葉で、インドの伝統医学であるアーユルヴェーダで行うオイルマッサージのことを言い、インドでは、二人の女性が左右同時にマッサージをする。初めにアーユルベーダー医師の簡単な問診を受け、いよいよマッサージルームへ。なんせ初体験。かなり緊張していて、最初はそのマッサージが心地よいのかあまりよく解らず、「リラックス!」と何度も言われてしまう。やがてマッサージをしながらおしゃべりする二人の声が、子守唄のように聞こえてくる。

お次はシロダーラ。シロダーラは脳のマッサージと呼ばれ、 額の一番敏感な部分に体温より1度高いぐらいの温度のオイルを垂らし続けることによって、至福の瞑想状態に至るという。なんと言ったらいいのか、最高に最高でした!ずっとぐるぐる回っていた脳がいっぺんに緩み、覚醒と眠りの狭間を彷徨いながら、最高にリラックスしている自分を感じ、いつの間にか深い眠りへ入っていった。目覚めた時はこの2週間の疲れが全部吹き飛んだような爽快感に包まれていた。頑張った後の神様からのプレゼント!だね。夢心地のまま、ホテルに戻る。

ホテルで荷物をチェックして、またいつ泊まれるかな?と思いながらタージパレスとお別れをして、最後の夕食はかなり不思議なJapanese & Chinese Restaurant「FUJIYA」へ。餃子や焼きソバやシャブシャブ?が出てくるもすべてベジタリアン食ゆえに、なんだかどれも同じ味がする。一人一人がビデオカメラの前で修行旅の感想を述べる。感極まって泣き出す人もいたり。旅の間ずっと献身的なお世話をして下さった、アニールさんとリタさんご夫妻。無事に旅を終えることが出来たのは、そんな支えがあったからこそ、改めて感謝の思いに胸が熱くなる。

たくさんの感動と気づきがあった旅だった。空港へ向かうバスの中で、過ぎ去った2週間を振り返りながら、充足感に包まれていた。普通の観光旅ではない、厳しい自然の只中に身を置いて、自分の魂の原点と向かい合い、気付きの時に至った日々。この旅がこれから生きていく私の大きな支えとなっていくなぁ、そう確信を持って思っていた。
空港でインド人スタッフとお別れした。別れがたく泣き出してしまった仲間がいた。それを見たお迎えに来ていた?インド人の家族がもらい泣きしているのを見て、「インド人と日本人の心は似ています」と言っていたリタさんの言葉を思い出した。繊細な心が同じ!?だからインドに惹かれるんだね。

やっと修行旅の報告終了!終わってもずっとこの2週間は私の中で生き続けている。あまりにも強烈な経験だったから。そして自分と向かい合った時間だったから。
感謝と祈りと、絶えず学ぶ姿勢をずっと持ち続けていこう!そう改めて思っている。

参議員選挙の結果がTVで流れる夜。定跡通りというか、自民圧勝で終わりそうだ。東京では組織力を持たない人が当選を果たした。若者が支持する人がまずは政界への道の入口に至ったのは良かったかなと思いたい。新しい週も一歩一歩。

インド修行旅・・・・いよいよ最終章

朝5時起床、荷物をまとめ部屋の外に出して、6時から食堂で最後の朝食。わずか2日間ほどの滞在だったけれど、大師さまの身元で過ごした時間のすべてが忘れられない結実の時間となった。護摩堂でのアグニホトラ、素晴らしい三昧の境地へ至った瞑想、仲間たちの時間、リシケシで出会った人たち、ガンガに響くマントラ・・・朝7時、たくさんの地元スタッフに見送られ、後ろ髪ひかれる思いでリシケシを後にする。

ニケタンのスタッフ、そしてマスコットのワンちゃんともお別れ。またきっと来る!そう自分に言い聞かせながら。

聖地ハリドワール周辺の道路は、選挙演説?の影響で大渋滞していた。選挙があるたびに街は大変な混乱になるという。

車線があるようでないし、信号があるようでないし、すべて流れに任せるインド式ながら、それなりの秩序を保って流れていく。ちょっとの隙間も逃さず入り込むカーチェイス頻繁。デリーに近づくと共に、同じ大都市の景色に変わっていく。
昼食は行きも立ち寄ったインド料理のお店で行きも食べた同じインド料理。行きには「これから高地に行くので半分くらいで残してください」と言われ、泣く泣く?残したけれど、「全部食べていいですよ!!}と言われた帰りは、悲しいかな食べきれず半分でギブアップ。いつの間にか油受け入れられない体になっていた!?

いよいよデリーが近くなる。リシケシを出てもうすでに8時間が経過している。「外は40度近いです」それでも道を歩いている人がいる。リキシャが走る。物売りが路肩に並ぶ。車が走る。ゴミが舞う。すべてが混在する。
16時半、デリーの高級住宅地にあるヨーガニケタンに到着。大師さまの教えを守り、その偉業を伝える立派な建物を運営されているのはデリーの資産家家族。インドでトヨタの販売No1を誇る会社を経営しているご長男のお話は、実に興味深かった。私利私欲に走ることなく、常に教えを守り謙虚な姿勢で歩き続けること。従業員一同、仕事の始まりと終わりにはいつもマントラを唱え神に祈るという。

かって、日本にもそんな時代があった。今日一日の平安を手を合わせ祈る朝があり、食事に前には手を合わせ感謝をした。走り続ける中、それで本当にいいのか?彼の話を聞きながら日本企業が問われている気がした。振り返り考え直した時間。そんな全てが有難く手を合わせて感謝する。感謝・・・大切な思い。
急成長するインド。デリー近郊はおっしゃれなマンションが立ち並び、富裕層が住む街に変容しつつある。世界中の大都市が同じ顔を持つ街にかわりつつある。それも現実。

19時、インド初日に宿泊したTaji Palace にやっと到着。ここでこの2週間ずっと私たちを安全に目的地へ運んでくれた優秀な運転手さんたちとお別れする。旅が終わろうとしている。お別れの時はいつも悲しい。一期一会だから。また再びはない気がするから、今、この瞬間の出会いが愛しい。明日はインドとお別れする日。

入院中の母を別府の姉んちで初めての外泊で迎えた週末。弟夫婦も一緒にみんな集まって母と一緒に過ごした。みんな一緒。いいなぁ・・・夜は母の眠るベットの下で寝て、何故か1時間おきにトイレに行きたがる母の介護に、結局眠れないまま朝になった私。どうしたん?お母さん?と一睡もできず問いかけながら。

夫運転の福岡に戻る車では爆睡。帰宅後も眠り足らず夕方まで眠り続ける。介護が一番大変かも。
そんなこんなでインド旅も次回最終章へ持ち越し。

インドに行っても、相変わらずいろんな思い抱え、揺れ迷いながらではあるけれど、今週も元気な体に支えられ一歩一歩、歩き続けることで気づきや出会いがある!そう信じて一歩一歩・・・・

旅の終わり・・・・リシケシにて

リシケシ(Rishikesh)は、かってビートルズもやって来た修行者の里で、町内では肉食や飲酒は禁じられている。ガンジス川を挟んだ右岸には私たちが今回滞在したスワミ・ヨーゲシヴァラーナンダジのアシュラム、ヨーガニケタンや、スワミ・シヴァーナンダジのシヴァーナンダアシュラムがある。左河にはヒンズーの寺院が点在している。アシュラムには猿が、道には牛が、全ての生き物が共存している。ニケタンのアシュラムで2泊しながら、修行旅の最終章となる時間を過ごす。丸一日リシケシに滞在した5月28日は実に濃厚な一日だった。

朝は4時半に起床し、5時から8時まで瞑想、アーサナ、呼吸法と行が続く。朝食後、溜まった洗濯などをして、昼食までの時間、お隣にあるシヴァーナンダアシュラムにも5年ぶりに訪れた。昼食後はお土産を買いに吊り橋を渡り、しばし俗世に染まりつつの時間を過ごす。あの極限の聖地から、なんでもありの場所へ戻って来た今の利便さを感じつつ、でもどこか違和感を感じながら、取りあえずはお土産買いにスイッチを切り替え、久しぶりに時間を気にしつつ奔走した。

夕方、ホーマ堂で最後の護摩供養が行われた。ガンゴトリーのニケタンで、ボジバサのキャンプ地で、そしてリシケシのニケタン・・・・その時々のアグニホートラ(護摩供養)を思い出しながら、何よりも旅の無事を感謝し、これからへの誓いを新たにする。炎の向こうに一層逞しくなって輝いて見える仲間たちがいた。

そして17時半からスワミ・ヨーゲシヴァラーナンダジの遺体が安置されているサムディホールで、最後の瞑想を行った。瞑想の主題は「苦行」。まず録音されたスワミ・ヨーゲシヴァラーナンダジのお言葉を聴き、それを木村先生が翻訳される。最後に用意された瞑想の課題は「苦行」。大師が経験された苦行の数々を語られながら、苦行から学ぶ智慧をお教えいただいた。「苦行から忍耐を学び、やがてその苦しみを克服したときに、自分の心身を制御する力が備わっていく。」
「いつかこの苦しみから救われる日が来る、そう信じて、心乱すことなく、耐え、立ち向かわなければならない。」

お言葉の一つ一つが胸の奥に言霊となって響いていく。大師の座像の眉間に集中をして、静かに眼を閉じ瞑想へ入っていく。大師から渡された命題を胸に、自分の心と向かい合っていく。いつの間にか懸命に走り続けたこの4年近い日々を振り返っていた。そして体験したたくさんの苦しみが次々と心に湧き上がって来た。その時・・・左の胸に強い痛みを感じた。胸の奥を鷲づかみされているかのような、息苦しさを感じ、「なに?どうして胸がこんなに痛いの?」初めての感覚にうろたえながら、次の瞬間にはその重い痛みが私の左胸から掴み出され、熱い熱の光の塊となって上昇していった。私の体の中心に光の柱が立ち昇り、全身が眩しいほどの光に包まれた。私は光の只中にいた。涙が溢れて止まらなかった。「よく頑張ったね。」大師の声が聞こえた。

この感動どう伝えたらいいのか・・・・この旅で私は湧き上がってくる感動の涙を2回経験した。一回はバギラッティ峰が見えた時、そしてリシケシのサムディホールで大師の声が聞こえた時。ヨーガ指導者ながら論理的思考が私の核であり、論理的に不確かなものは受け入れない私が、体験した説明できない感動、気づき。そんな体験を語るにはとても勇気?が必要で、何度も何度も自分に問いかけ直した。私は無宗教者だけれど、霊性(Spirituality)は信じている。魂が導かれる聖なる存在を信じている。そんな存在を確かに感じた時に、私の魂は救われ満たされ、感動の涙が止まらなくなったのだろう。それもこれも、厳しいインド修行の旅を乗り越えたからこそ出会ったのだと改めて思う。

明日はリシケシを離れ、旅立った地でもあり、旅の終わりの地でもあるデリーへ向かう。その夜、昼間露店で買い求めたマンゴーを食べながら、ルームメイトと遅くまで語り合った。ガンガでは今夜も沐浴をし、祈りを捧げる人たちでごった返しえしているのだろう。全ての罪は浄化される・・・?!?遠くで祈りのマントラを聴きながら、リシケシ最後の夜が更けていく。
インドは摩訶不思議な地、改めてそう思う。問いかける言葉が呪文のようにやがて深い眠りへと入っていく。
明日はデリーへ。最終章は次回へ続く。

雨の別府

昨日から別府の病院に入院中の母に会いに、別府へ来ています。二週間振りに会う母は、すっかり元気になって…と言いたいけれど、ほんの少し、わずかたけど、良くなっている気がします。二週間前は車で来て、初めての霧中運転で怖い思いをしたので、今回は電車、ソニックに乗って来ました。


本を読んで、FBを眺め、首が痛くなるほど寝て、やはり電車は最高です。別府駅からはリハビリテーションセンターまで駅からバスに乗りました。巡回バスなのでぐるぐる色んな所をまわってるみたいです。一体どこを走ってるんだろうと思いながら、ちょっとした旅行者気分でした。


「 てつわには止まりますか?」と、旅行者らしき女性が運転手さんに尋ねる。うん?てつわ…?「 かんなわ( 鉄輪 )と読みます。バスは一度下りて、また上りますので」…??それって答えになってないでしょ。私は一人ブツブツ…やがて確かにバスは上り始める。「 鉄輪 の何処に行きますか?」運転手さんが尋ね、ちゃんと最寄りのバス停を教え、降りた後も「そこを右に…」と声をかけ。さっすが観光地別府!と、最初の??も忘れ、私も笑顔に。で、私は、センター入口で降ろされ、正玄関への坂道を傘を左手に、ゴロゴロ荷物を右手で引っ張り歩く、歩く。


車ならすっ!の時間が電車、バス、歩きだと色んなことに出会う、考える。便利さで失くすものもある。なんて、思いつつ、我が家を出てから4時間半、やっと到着。リハビリが一日四回ある。その度にかなり嫌そうな顔をする母。早く家に帰るためにも頑張らんとね!宥め元気付け、一日があっと言う間に過ぎ去る。お盆には木浦の家に帰れたらいいね。きっと帰ろうね!明日まで母と過ごします。今週も一歩一歩…

★最近読んでる本 「ジヴェルニーの食卓」 原田 マハ著
「愛をかなえる像」 水野 敬也 著

リシケシへ 帰路の旅 No3

翌日はまた車に乗り、リシケシに向かう。丸一日、車での移動はかなり疲れる。行きはかなり感動して眺めた景色も、気が付けば首ががっくり折れるほど眠りこけている。旅も残り4日。かなり疲れ蓄積状態。眼を開ければかなりきわどい道を疾走中。「キャー!」心の中で叫び、右足でブレーキ踏みながら?再び眼を閉じる。

季節は乾季。からからに乾いた土埃が舞う道。たまに通り過ぎる村も土埃に覆われて土色に染まっていた。

段々畑が山のてっぺんまで続いている。畑で働いているのはほとんど女性。土埃舞う道を頭に山のような草??を乗せて歩く女性を何度も見かけた。インドの男は何をしてるん??通り過ぎる小さな町の店先でたむろしているのは男のみ。

ウッタルカシを発って約6時間後の15時、リシケシにあるニケタンのアシュラムに到着する。リシケシ(Rishikesh)は修行の里とも言われ、シバナンダアシュラムやヨーガ ニケタンのアシュラムなど、多数の寺院やアシュラムがガンガを挟んで点在している。
私たちが滞在したのは、師、スワミ・ヨーゲシヴァラーナンダ大師のアシュラムであるヨーガニケタン。広い敷地にサーダナホール(瞑想が行われる部屋)や、大師のご遺体が安置されているサマディ・マンディール、アグニホトラを行うホーマ堂や図書館や、そして私たちが宿泊したドミトリーなど点在している。

マンゴーの実る敷地内は猿の楽園でもある。お腹に子猿がしがみついたお母さん猿に何度も出会った。町に下りれば牛くんがいっぱい。「インドは人間も動物もすべての生き物が共存して生きているんです。」そう語っていたインドのスタッフ、リタさんの言葉通り。それに比べ、人間社会と動物とが完全に分けられた日本。私が動物だったら、インドで生まれたい!共存する世界。そこから思いやりのこころが生まれるのかもしれないな。そう思ったり。

わずか2泊だけど、ニケタンのアシュラムに泊まり、修行旅の最終章を締めくくるにふさわしい時間を過ごそう!そう思いながら天井で舞う扇風機の音を子守唄に蒸し暑いリシケシの夜は暮れていった。次回はリシケシでの感動の瞑想、そしてデリーへの帰路の旅へ、まだまだ続きます。

ウッタルカシへ 帰路の旅 No 2

すっかりご無沙汰の「和日記」です。今日のレッスンでも、「先生、インド以後いろいろ忙しくてインド、すっかり飛んじゃったんではないですか」と、言われてしまった。はい、確かに・・・で、あのインド修行の旅は何処へ?「ここ、私の胸の奥に深くしっかりといますよ!」と、こころの中で答えた。「和日記」もガンゴトリーを発って、モンゴル村に立ち寄り、それからウッタルカシへ向かった日から、止まったままだった。
そのウッタルカシが、私が行ったインド北部一帯が信じられないような洪水の被害に見舞われている。今週初め、例年より早いモンスーンの影響による豪雨で、特にインド北部のウッタラカ州北部にある、私がまさに訪れたウッタルカシを中心とする山岳地域で、いたるところで河川の氾濫、土砂災害が発生して、道路や建物などに被害が及んでいるという。 亡くなった方、行方不明の方など、一説によると千人を超えるという。 また2万人以上の観光客やヒンドゥー教聖地への巡礼者が道路の寸断により立ち往生して、救援を待っているという。もちろんあの聖地ガンゴトリーへ続く路も崖崩れで道路が遮断されている。実は3年前の2010年9月21日にも村人150人が死亡する洪水があった。当時流されたという橋は3年たってもまだやっと一つ架けられた状態だった。


ウッタルカシ到着後の夕方、木村先生と一緒にラムジと面識のある10名ほどの仲間で、2010年後唯一架けられた橋を、かなりの時間をかけやっと渡り、かなり遠回りをし、ガンガ(正確にはバギラティ川)の上流にあるラムジのアシュラムを訪問した。私にとって4年振りの場所だった。ガンガのすぐ側に大きな岩をそのまま残し建てられた部屋でラムジに再会した。木村先生とラムジは、かってボーレ先生の下で共に学んだ門下生同志。互いの近況を語り合った後、ラムジから私たちへの祝福の言葉をいただき、ラムジの誘導でしばしの瞑想をした。静寂の中でガンガの流れる音がすぐそばで聞こえる。「ガンガは智慧の音を奏でながら流れている。その音が聖音「オーム」を唱えるその音のつなぎ目の静寂に聴こえる」ラムジの言葉の向こうにガンガの流れる音が、智慧の音が聴こえる。智慧の音・・・至福の時間だった。

そんな智慧の音を奏でていたガンガが、わずか1か月も満たない内に濁流となって村を襲ったなんて。わずか1ヵ月前、確かに見たシバ神の像が濁流に流されるさまをUチューブで眼にし、言葉を失った。あのラムジと過ごした聖なる場所は大丈夫か?同じくガンガの側にあったニケタンのアシュラムは?ヴィシュワナート寺院は?訪れた場所、出会った人たち、共有した空間、すべての今を思い、胸を痛める夜。

私たちの旅を支えて下さった「トラベル・ミトラ・ジャパン」の社長、大麻氏(「たいまし」ではなく「おおあさし」ですよ)によると、こういった尋常ではないインド北部の洪水は、実はダム建設に因る人災?だという。ウッタルカシにインド最大のダム、「デーリー・ダム」は40年以上の時間をかけて、2004年完成をした。40数か所の村が沈み、移住を強いられた村人は10万人に上る。以来毎年洪水に見舞われる。三年前は決壊を免れたダムは今回はついにその境を越えたのかもしれない。天災か人災か・・・・災害が起きる度に繰り返される言葉。犠牲になるのはいつもそんな繁栄の恩賞から取り残された人たち。

「先生、今インドじゃなくて良かったですね」と言われ、「そうですね。」といいつつ、再び考え込む。幸い?の我が身を素直に喜べない自分がいる。