キャンプ地ボジバサからガンゴトリーへ 

5月24日、タポバン行きがなくなったので、予定より一日早くガンゴトリーへ降りることになる。早朝5時半起床。荷物を再びまとめ、テントの外に出す。ゴームクの石や砂やガンガの水や、一層重くなった荷物を運んでくれるシェルパさんたちに、「重くなってごめんね」と心の中で謝りながら。帰りは徒歩でと準備していたら、朝食後「二宮さんは馬に乗って下さい。」と、言われた。「いえ、帰りは徒歩で大丈夫です」と訴えたけれども却下される。え〜!もう馬はこりごりなのに。

仕方なく荷物から毛布を出し、徒歩組を送り出し、上の乗り場?で待つ。来ない!待つこと2時間。インド時間とはいえ、2時間はひどくない!!怒りつつやっとやってきた馬に乗る。行きのやや賢そうな馬ちゃんに比べ、今度のは正体不明。中々呼吸が合わない。しかも急な下りが続く。右手は手綱を握り、左手は馬の鞍の後ろを持ち、体を反らせ、必死でバランスを取る。陽射しが眩しく暑い。手綱を掴んでいる右手に異常に力が入っていることに気づき、リラックス!と自分に言い聞かせる。1時間もしない内に、尾骶骨近くに痛みを感じ始める。いかん!お尻が・・・火事!?

唯一の休憩地、チルバサに到着するもすでに徒歩組は全員通過した後。お昼のお弁当、梅干しお握り2個と茹でたじゃが芋2個を食べ、到着した宏輝先生(医師)にお尻の事情を相談?する。馬組仲間?に、鞍の上に敷いていた毛布で四方を囲ってもらい先生の診察を受ける。「二宮さん、これはひどい。皮一枚剥けてます。応急処置をしておきますから、今夜もう一度診ますので。」と、言われ絆創膏?を貼られた。「はぁ・・・皮剥けてますか・・・」でもまだ馬には乗らんと降りれんし。

剥けていると言われたら一層痛みが増した。更に2時間近く、出来るだけお尻を浮かせ、でもかなり無理で、来た時より一層の苦痛と緊張でいっぱいいっぱいのまま、やっとやっとガンゴトリーが近くなった時、実は泣きたいくらいほっとした。丁度そんな時だった。ガンゴトリーまで後20分位のなだらかな下り坂で、額から血を出して横たわっている仲間の姿に遭遇する。「落馬したみたい」・・・動揺する私たちはそのまま下山するように指示を受ける。幸い近くにいた徒歩組の木村先生や仲間たちがすぐに宏輝先生に連絡し、下山後、車でデリーの病院まで運んだという。運転手は24時間一睡もせず運転をしたという。もしももっと険しい崖が続く道だったら、木村先生や宏輝先生が近くにいなかったら、そう思っただけでぞっとした。両手首を骨折していることが解り、日本で手術を受けるため翌日の便で帰国した。

危険と隣り合わせの旅であったことを改めて知らされた。やっと下山した夜は、ガンゴトリーのホテルで久しぶりに水で体と髪を洗った。お湯は出ない。電気は夜の2時間位しかつかない。でもテントでの日々に比べたら、まるで天国?!のよう。宏輝先生はデリーに行ってしまったので、お尻の付け替えはなし。なーに、剥けた皮はきっと再生する!そう信じて久しぶりのベットで眠る。昨日までのテント生活が嘘のように、夜遅くまでガンゴトリーの繁華街?にあるホテル周辺は賑わっていた。

翌日の5月25日はニケタンで早朝瞑想からラージャヨーガ修行、旅の安全を感謝しての「アグニホートラ」など、一日ガンゴトリーで修業の一日を過ごす。お尻は仲間の看護師さんに、恥ずかしながらの尻見せ?!で治療していただく。感謝!!ガンゴトリー最後の夜、ガンガに座し瞑想をする。対岸からマントラが聞こえる。4年前にこの地を訪れた時も同じようなマントラが聞こえていた。同じ場所で座す。あの時より更に深い思いに満たされている今を感じながら、座している今を心から幸せだと思った。この瞬間も一生忘れない。
翌朝、5月26日8時、帰りも同じ2号車に乗り、ガンゴトリーにお別れを言い、ウッタルカシへ向かった。帰路の旅が始まる。修行の旅はまだまだ続く。