GW 真っ最中

巷ではGWに突入!長い人では10日間ものお休みがあるまさに黄金週間!が始まった。肌寒い毎日からやっと気温も上昇して、ぽかぽか陽気の晴天に恵まれたGW前半だった。さて、宮崎への旅後編。

学会二日目、ほぼ終了間近?の会場から一足早く退場させていただき、宮崎駅に行き、予約していたレンタカーに乗り込み、串間へ向かう。
宮崎の最南端に位置する串間は、父の仕事の関係で小学校6年から中学2年までの3年間を過ごした思い出の地。大人になって?訪れるのは今回で3度目。レンタカーで行くのは始めて。でもカーナビがあるから大丈夫!とナビに頼り切って、目的地串間市!で示されたルート1?を迷わず走行開始。ところがそのルートは高速利用ルートだった。で、乗らなくてもいい高速に乗っかってしまい、途中で慌てて降りて、なんのことかすっかり回り道をしてしまう。雨は降るし、暗くなるし、ハンドルを握る姉と何度も喧嘩?しながら、予定より30分以上遅れて真っ暗になった串間にたどり着いた。

こうして振り返ればそんな道のりが一番心に残っている。旅って、そんなもん。


姉の友人たちと一緒にイタリアンのお店でやや遅い夕食を食べる。メインはなんとアラのアクアパッツア。でかい!美味い!色彩的に緑色足りない!と思いつつ形よりも味!を実感。でもこのお店、イタリアンなのに座敷あり。イタリアンなのに焼酎あり。さっすが宮崎!


翌朝二日酔い気味の姉の友人に一宿一飯の礼をいい、串間で一番見たいと思っていた海へ行く。多分この海を中学生の私も見たんだろうなぁ・・・すでに消えてしまった記憶を無理やり引き寄せつつ穏やかな海に向かう。変わらない海を、あの頃からすっかり変わってしまった私が見つめる。またね!!次はいつ来れるかわからない町へお別れを言って、飫肥へ向かう。飫肥・・・初めて訪れる場所。


飫肥城は、天正16年(1588年)、豊臣秀吉の命で伊東家の居城として入城して以降、明治初期まで280年間、伊東家は14代にわたって飫肥藩を治めたという。明治6年(1873)には、飫肥城内の建物全てが取り壊され、昭和53年(1978)6月に城の顔と言える大手門が、飫肥杉を使って復元されたという。つわものどもは夢の後・・・・うっそうと茂る杉木立、苔むした城址に立っていると今と昔の風が交差するような不思議な感覚に捕らわれた。日本の近代外交の礎を築いた明治の外交宮、小村寿太郎の展示館を見学し、飫肥を後にした。


日南海岸をひた走り、お昼はこれまた姉の高校時代の友人のお店「ドライブイン大海」で海鮮丼をいただく。ウニ、イクラ、生海老、烏賊、鰹、帆立、鯛などいっぱいの魚介類と、なんと鶏南蛮が3個も入ってました!海鮮丼には魚の味噌汁がついてくるのですが、姉の友人のご好意により、なんと伊勢海老の味噌汁付き!だったのです。目の前に拡がる海を眺めながら、その幸を満喫した時間。お腹も心もいっぱいの幸せ時間でした。


更に車を走らせ、堀切峠の道の駅でお土産を購入し、宮崎駅へ向かう。出発点へ向かう道は、つまり旅の終わりへと向かう道。無事にレンタカー屋で車を返し、帰りの電車に乗る。


学んだこと、再会した人、そして場所、初めて出会った感動・・・・いっぱいいっぱいあった4日間だった。来年のヨーガ療法学会は岐阜で開かれるという。その日までどれだけ自分を磨き、成長させることができるか。この歳になっても学ぶことがあり、出会う感動があることに感謝しつつ、GW後半も変わらずの一歩一歩。

★最近読み始めた本  「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 村上 春樹