節分の日曜日

真冬から早春を思わせる陽気へ先週半ばから一気に気温が上がり、穏やかな日々が続いている。今日も快晴!目覚めた途端にエンジン始動。温かいと仕事はかどります。お洗濯をして、掃除をして、お布団も干して・・・・開け放った窓から庭にやってきたメジロ君の可愛い囀りが聞こえる。猫ちゃんも干していた座布団の上で日向ぼっこ。優しい太陽さんの笑顔にほっこり体もこころも緩む。

寒さ一気に緩んだ先週の木曜日、あまりもの陽気に誘われて、「よし!今日しかない!」と、大急ぎで支度して、大宰府にある九州国立博物館で開催されている「ボストン美術館」展に行って来た。思った以上に凄かった。殆どすべての作品に電流が走るような衝撃を受けた。
尾形光琳筆「松島図屏風(18世紀後半)」・・・この色遣い、いったいどうしたらこんな深い色合いが生まれるのだろう。ガラスにへばり付かんばかりに凝視し続けた。絶対この色、私も描いて見せる!無謀にもそう思いつつ。
長谷川等伯筆「龍虎図屏風(1606年)」・・・・日経新聞夕刊に連載されていた安部竜太郎著「等伯」を読んでいたので、深い感慨と共に初めて本物に対峙した興奮に震えた。動乱の時代を生き抜き絵師として生き抜いた等伯の姿が、描かれていた虎の姿に重なる。

曽我蕭白、「雲龍図(1763年)」・・・・江戸時代、「異端」「狂気」の画家と言われた絵師、蕭白。壁一面に架かった大きな絵。龍が空を飛び、その目が見るものをにらみつけるようにギラリと光る。全身を駆け抜けるようなエネルギーを感じた。躍動する筆遣い、一気に書き上げたであろうその集中力の凄さ。破天荒な構図。見るものを掴んで離さない磁気のようなパワー。素晴らしかった。もう一度あの絵の前に立ちたい。そう今でもその感動が焼き付いて離れない。その他、仏教絵画、絵巻、そして狩野派の豪華な世界。堪能した。また来よう!そう心に誓い会場を後にした。

博物館の前の庭に白梅が咲いていた。真っ青な空を背に真っ白な花弁が輝いていた。
こころにいっぱい充電をしたいい一日だった。

ついでにひょうたんがいっぱいぶら下がった門をくぐり、天満宮にお参りをする。韓国からの旅行者がガイドさんの話に熱心に聞き入っていた。参道を歩いて駅へ戻りながら、定番「梅枝餅」を並んで5個ゲット。参道にぶら下げられていた九博のポスター。その横に我が家のテーブルクロスと同じものが!?!MARIMEKKOの図柄がどうしてここに???

話は前後するが、その前日の水曜日、午後からぽっかり時間が空いたので、レッスン後、キャナルシティに急ぎ車を飛ばして行き、山田洋二監督の「東京家族」を観た。ご存じ小津安二郎監督の「東京物語(1953年)」を震災後の現代に舞台を移して「なぞった」作品だという。「ミケランジェロやダビンチの絵画をまねるようなもんで、何も恥じるものはない。なぞってみて分かることがあるんじゃないかと。(朝日新聞夕刊 監督談より)」と、監督自身が語っていたように、見事なまでに小津監督の世界が再現されていた。家族たちの心の動き、感情の揺らぎが静かに、そして丁寧に描かれていて、観る者を自然にその世界の中へ誘っていく。いつしか登場人物に自分の姿が重なっていく。
東京物語」では戦死したことになっていた次男が登場する。次男を演じた妻夫木くんも良かったなぁ。一番印象に残っているシーン。次男のアパートに泊まりに行った母親と二人で語り合う場面。息子はやや照れながら、彼女との出会いと告白したときのことを母親に語る。その幸せそうな息子の姿に、安堵して涙ぐむ母。子供を思う母親の気持ちを吉行和子が見事に演じていた。涙が溢れて止まらなかった。家族の温かさ、哀しさ、親の愛、人の愛・・・いろんなことを考えさせられた映画だった。

学生時代は映画研究部に所属し、部長をしていた時、学園祭で山田洋次監督の「馬鹿まるだし(1964年)」を上映したことがあった。長い付き合いだなぁ。酔っぱらった周吉(橋爪功)が唯一声高に叫ぶシーンがある。「この国はいつから間違ってしまったんだろう」間違ってしまった?最近よく聞く言葉だが、私はそうは思わない。過ぎ去った日々は美しく見える。紆余曲折を繰り返しながら人は生きていく。その道に正解がなどなく、間違いもない。エンディングのシーン。一人座す周吉の姿がそう語っているように思えた。観た人の数だけ違った感想が持てる作品だと思う。是非観ていただいて一緒に語り合いたいな。

まだそうすんなりと春は来ないのだろうが、確実に近づいて来る春の足音が聞こえる。今週も忙しい。でもこころ遊ばせる時間も大切に!変わらずの一歩一歩。
追伸ながら母は退院。暫くは別府在の姉んちで春を待って過ごす予定。まずはほっとする。